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「圧倒的に経験が足りないと感じていたので、地元の名古屋へ戻り、居酒屋チェーン店へ入社しキッチンの基礎から学ぶことにしました。一年を過ぎた頃だったと思います。ちょうどバブルがはじけた頃で実家の焼き鳥屋も四苦八苦していましたから、自分も手伝うことになりました。一店舗を立て直すことができなければ、企業を創るどころではないという思いでしたね」
一年で店を軌道修復へと導いたが、このまま実家の限られた世界にいたのでは、だめだという焦燥感に駆られ東京の食品を扱うメーカー機能を持つ商社へ転職する。関東の大手居酒屋チェーンの物流システムやメニュー開発等も手がけているその会社で半年間、今まで持っていなかったノウハウと知識をみっちり学んだ。
その経験をさっそく実家の店で試してみた。誇大ではなく売上が2倍になったのには驚いたが、独立する時が来たと思った。
ちょうど第一ステップの夢の期日である25歳の時だった。名古屋市新栄に1号店「手作り居酒屋 味和居」をオープンさせた。
「自分も現場に入って、創作料理や器、空間をあれこれ考えてお店を作っていくのは、楽しくてしかたないという感じでしたね」、と当時を蓮川社長はふりかえる。
ともすると経営効率には多少目をつぶり、そのつど自分のやりたいことを優先させていたところもあった。そんな考えの店作りにはついていけないという社員や、やりたいお店や感性が合わなくなってきたと、お店を辞める社員も出てきた。人材が組織として機能しているとは言いがたい状態だった。それでも1年に1店舗のペースで店舗をオープンさせていったが、独りよがりで自己満足のお店作りは3店舗で限界がやって来た。
「これ以上、企業としての発展はないと経験値で気付かされました。決定的だったのが名駅店が入っているビルの1Fに他社の焼肉店がオープンした時でした。名駅店はビジネスエリアということもあって、平日はにぎわっても土日はお客様が少ない。それもしかたのないことだと思っていたんですが、休日だというのに1Fの焼肉店は満員。ウエイティングの椅子も満席でお客さんはあふれていました。当店は席が空いているというのに。ショックでしたが、今の自分のやり方ではダメだという烙印を自ら押せた瞬間でした。待ってでも食べたい、そんなお店を作りたいと心底思いました」
その焼肉店が「お客さんが今まで経験したことのない焼肉店」だったように、明確で強烈に印象に残るコンセプトのお店でなければと考えるようになった。
そんな思いでいた頃、知人から「2年間だけど好きに使ってもいい場所があるけど、どうする?」、と声をかけられた。今の思いをぶつけた新しいコンセプトのお店にチャレンジすべきだと決断した。潤沢な資金があるわけではないから初期投資をあまりかけずにシンプルでわかりやすい、自分の強みを活かせて最高においしいものは何かを考えていくうちに「ホルモン」という素材に行きついた。鮮度が命のこの食材を安く入手する独自のルートは既にあった。扱いが難しいと言われるホルモンも子供の頃から見聞きして熟知しているはずだ。
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