平成13年、和食居酒屋「味和居ダイニング」で創業。平成16年に2年間限定ということで「一宮ホルモン」をオープンさせるが、行列のできる店として注目を集め熱烈なオファーに応え「下町情熱酒場ホルモン」としてFC展開をスタート。小田井ホルモン、長久手ホルモン、高針ホルモン…と続々店舗が誕生。すでに10店舗以上になる。その勢いは現在も止まらない。すっかり名古屋名物としての地位を築いた感もある「下町情熱酒場ホルモン」。その誕生秘話から味和居ダイニングの未来、そして蓮川社長の会社や人に込める思いについて聞いてみた。
実家は焼き鳥屋を経営、祖母は焼肉屋という環境で育つ。子供の頃に感じた味や経験が結局大人になって後々、活かされることになるが、独立した頃はホルモン焼きのお店をやろうなんていう考えは全くなかった。
学生時代は横浜で過ごす。当時、アメリカンレストラン&Barでアルバイトを経験。サービス業の楽しさを知るが、その時もそれを仕事にしようという思いは特別なく、毎年1月頃からGW位までは冬山にこもり、ひたすらスキーに情熱を注ぐ学生だった。飲食業界の若手経営者というより、どこかスポーツ選手特有の爽やかさを放っているのもそのせいなのか。
一度見たら目に焼きついてしまうテンションの
高い看板がホルモンを一層、食べたくさせる
「大学を卒業する時も、飲食店ではなく普通のサラリーマンのほうがいいのかな…なんて思っていたくらいでした」
たまたま、就職活動の時に関東の大手居酒屋チェーンを訪問。その時に出会った人達があまりにも素晴らしく衝撃を受ける。今までいだいていた飲食業界のイメージを一掃する出来事だった。そしてその時、「こんな優れた人材を輩出できるような企業を自分も創りたい」という思いに火がついた。
そのためには、まず25歳までには独立をしようと決意。その日から夢を実現させる期日を決めた。
「圧倒的に経験が足りないと感じていたので、地元の名古屋へ戻り、居酒屋チェーン店へ入社しキッチンの基礎から学ぶことにしました。一年を過ぎた頃だったと思います。ちょうどバブルがはじけた頃で実家の焼き鳥屋も四苦八苦していましたから、自分も手伝うことになりました。一店舗を立て直すことができなければ、企業を創るどころではないという思いでしたね」
一年で店を軌道修復へと導いたが、このまま実家の限られた世界にいたのでは、だめだという焦燥感に駆られ東京の食品を扱うメーカー機能を持つ商社へ転職する。関東の大手居酒屋チェーンの物流システムやメニュー開発等も手がけているその会社で半年間、今まで持っていなかったノウハウと知識をみっちり学んだ。
その経験をさっそく実家の店で試してみた。誇大ではなく売上が2倍になったのには驚いたが、独立する時が来たと思った。
ちょうど第一ステップの夢の期日である25歳の時だった。名古屋市新栄に1号店「手作り居酒屋 味和居」をオープンさせた。
「自分も現場に入って、創作料理や器、空間をあれこれ考えてお店を作っていくのは、楽しくてしかたないという感じでしたね」、と当時を蓮川社長はふりかえる。
ともすると経営効率には多少目をつぶり、そのつど自分のやりたいことを優先させていたところもあった。そんな考えの店作りにはついていけないという社員や、やりたいお店や感性が合わなくなってきたと、お店を辞める社員も出てきた。人材が組織として機能しているとは言いがたい状態だった。それでも1年に1 店舗のペースで店舗をオープンさせていったが、独りよがりで自己満足のお店作りは3店舗で限界がやって来た。
「これ以上、企業としての発展はないと経験値で気付かされました。決定的だったのが名駅店が入っているビルの1Fに他社の焼肉店がオープンした時でした。名駅店はビジネスエリアということもあって、平日はにぎわっても土日はお客様が少ない。それもしかたのないことだと思っていたんですが、休日だというのに 1Fの焼肉店は満員。ウエイティングの椅子も満席でお客さんはあふれていました。当店は席が空いているというのに。ショックでしたが、今の自分のやり方ではダメだという烙印を自ら押せた瞬間でした。待ってでも食べたい、そんなお店を作りたいと心底思いました」
その焼肉店が「お客さんが今まで経験したことのない焼肉店」だったように、明確で強烈に印象に残るコンセプトのお店でなければと考えるようになった。
そんな思いでいた頃、知人から「2年間だけど好きに使ってもいい場所があるけど、どうする?」、と声をかけられた。今の思いをぶつけた新しいコンセプトのお店にチャレンジすべきだと決断した。潤沢な資金があるわけではないから初期投資をあまりかけずにシンプルでわかりやすい、自分の強みを活かせて最高においしいものは何かを考えていくうちに「ホルモン」という素材に行きついた。鮮度が命のこの食材を安く入手する独自のルートは既にあった。扱いが難しいと言われるホルモンも子供の頃から見聞きして熟知しているはずだ。
名古屋で前沢牛専門の店は初めとあって、
注目を集めた「前沢牛舎 伏見屋」。
新しいビジネス展開も図っている
内装は特に手をかけなかったが、お客さんにはわかりやすいように大きく目立つカンバンを作った。予算がなかったので高価な無煙ロースターは辞めにして、あえて煙は出るままで行くことに。安さとおいしさ、そして気さくなサービス。どこか昭和のなごみを感じさせる「一宮ホルモン」の誕生だ。
「煙モクモクの中でジューシーなホルモン焼きをつつく。これがかえって、ホルモン焼きのシズル感が出たみたいでした。無煙ロースターの高級焼肉店では経験できない味ですよね」
連日行列ができる「一宮ホルモン」を見て、このお店をやりたいという声が上がるのに時間はかからなかった。
「ホルモンは素材の難しさから、品質に目が行届く夫婦で切り盛りしているような個人のお店なら上手く行くと思っていたけれど、誰がやっても成功できるFC化を図るのはそんなに単純なものではないと考えていました。そこには仕組みとノウハウが必要になってくるんです」
その一つに独自のセントラルキッチンがある。他にもハードからは見えない独自のシステムが稼動している。素材とハードを真似るだけではお店を成功させることができないビジネスモデル。それが同社が勝ち続けられる勝因なのだ。
同社があげている企業理念である。この企業理念を深い共感レベルで理解し合える仲間がいて、はじめて強いビジネスモデルを具現化させることができるのだ。どの企業にも理念はあるが、この理念が社員の隅々まで行き届いている企業は案外少ない。蓮川社長は、何をおいてもまずはこの理念を深い共感レベルで理解し合えることにこだわっている。
「働くことが目的ではなく、働くことで自分達が成し得ることができる価値は何かを社員一人ひとりが持って同じ方向に向かっていけば大きなことが成しとげられる。目標を見失うことがないから、社員も簡単に辞めたりしなくなりました」
ホルモン焼きをもっと成熟した食文化にしていくため、今はじっくり店舗を増やし育てていく時期だという。愛知県内で20店舗を築き、次は関東へ、そして世界にも目を向けて名古屋の焼肉・ホルモンを発信していこうとしている。
「流行を追う店作りに興味はない。食文化として残っていく味とお店を皆で作っていきたいんです」、と語ってくれた。
蓮川 昌実氏(34才)
株式会社味和居ダイニング 代表取締役
背伸びすることなく、着実に経験を積み上げ挑戦することで2005年に「ホルモン焼きのお店」をFC化、セントラルキッチンを導入し新しいビジネスモデルをブレイクスルーさせる。学生時代は、その道に進んでもおかしくない程、スキーにのめり込んでいたというスポーツマン。市場にインパクトを与え名古屋の飲食業界に元気を与え続けている若き経営者。愛知県出身。
| 社名 | 株式会社味和居ダイニング |
|---|---|
| 住所 | 愛知県名古屋市中区栄2-8-8 松本ビル |
| 事業内容 | 飲食店経営プロデュース、空間プロデュース、「下町情熱酒場ホルモン」FC本部 |
| 店舗 | 名駅店、伏見店、長久手店、セントラルキッチン(一宮市)等、11店舗(FC店舗含)を展開 |
2008年11月掲載
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