国境を軽々と越えて行く。
「おいしい」のシアワセを
世界中に届ける使者かもしれない。

株式会社 壱番屋
代表取締役社長 浜島 俊哉氏(49才)

海外を含み、全国1,191店舗(2009年1月末現在)を展開。間違いなく(株)壱番屋は「カレー専門店チェーン」で日本最大手である。30年前、「カレーは家で食べる」を外食へとポジションを創出した先駆者だ。今や外でカレーを食べることは、誰の生活スタイルにも普通に溶け込んでいる。言わば競合が存在しない一人勝ちの企業。新たに10年後の40周年に向かい自らが挑戦者となり、更に上へと階段を登り始めた。まだ誰も成しえていないことを打ち立てるために。

志は高く。
出発地点はフリーターからだった。


勝ち続けなければいけない。そんな同社を率いる浜島社長とはいかなる人物なのだろうか。

寒さの中にも、日差しは立春が近づいていることを確かに感じさせていた。そんな頃、インタビューの場へと社長は現れた。国内はもちろん海外戦略と誰よりも多忙を極める社長だが不思議なくらい、そのまわりには大陸的な空気が流れていた。果てしなく、そして着実に事業が広がっていくかのように。

国内店舗数1165店舗(2009年1月末現在)。アイコンとしても街にすっかり溶け込んでいる店舗。2005年から更に洗練されたこのデザインにリニューアル化が図られている

国内店舗数1165店舗(2009年1月末現在)。アイコンとしても街にすっかり溶け込んでいる店舗。2005年から更に洗練されたこのデザインにリニューアル化が図られている

ハワイ・中国・台湾に続き、2008年3月に韓国の江南(カンナム)店をオープンさせた。木目調の床や壁、インテリアなど、高級感のある雰囲気が特徴

ハワイ・中国・台湾に続き、2008年3月に韓国の江南(カンナム)店をオープンさせた。木目調の床や壁、インテリアなど、高級感のある雰囲気が特徴

売上高

CoCo壱番屋の1号店が誕生したのは、昭和53年。喫茶店を営んでいた宗次夫妻(現、創業者特別顧問・会長)が「カレー専門店」を創ったのが1号店となる。

その時、浜島社長は20歳。アルバイトで働く創業メンバーの一人だったが、CoCo壱番屋で働くことは自分の夢を実現させるための通過点に過ぎないと心に決めていた。

「高校一年の春休みに小遣い稼ぎのつもりで始めた喫茶店でのアルバイトが、この業界に入るきっかけでした。そのお店は近所では知る人ぞ知るこだわりの喫茶店でしたので、アルバイトの私にも珈琲の入れ方からサーブするまでの細かな作法やおもてなしの一部始終を指導してくれました。かなり厳しいものでしたが、サービス業の奥深さやおもしろさにのめり込み、将来は自分で喫茶店を持ちたいという夢を抱くまでになっていました」

アルバイト熱は、高校を卒業し専門学校に入学してますます高まっていった。あまりの熱の入れように学校の出席日数が足りず学校は中退。フリーター状態になる。そんな時、「カレー専門店をオープンさせるので手伝ってみないか」と知人から創業者である宗次夫妻を紹介されたのだ。

「店を持ちたいという強い夢があったので、自分はもっといろいろなことを学ぶ必要があると思っていました。だから3年は勉強のために壱番屋で働こうと考えました。どこで働くかが問題ではなく、何をしたいのかがいつも人生の判断基準でした」

3年と言っていたが、実は半年で同店を辞めている。先輩が「喫茶店を始めるから」と誘われたのだ。軽率な判断というより、この時も自分のやりたいという素直な気持ちに従ったにすぎなかった。しかし、前途はそう簡単には開かれてはいなかった。先輩の店と自分のやりたい方向とが、どうにも折り合いがつかなくなり、じきに退職した。

そんな時、「だったらもう一度壱番屋で働いてみたら」と宗次夫妻が再び声をかけてくれたのだ。

新たなスタートだった。


辛い時に積み上げた人間力。


「当時、CoCo壱番屋が1100店舗以上にもなるなんて思ってもいなかったし、会社を大きくしようなんてことは全く思っていなかったけれど、1号店から2号店、3号店と店舗は増えていき、とにかく忙しかったけれど仕事がおもしろくて仕方ないという感じでした」

そして7号店の時待望の店長となるが、半年で想定外の撤退へと追い込まれた。サービス業に少なからず自信を持っていた浜島社長にとって初めての屈辱であった。

「自分に何が足りないのか、どうしてだめだったのか?毎日毎日、自分と向き合うしかありませんでした」

悶々とした時間はニ年ほど続くが、人間形成の上でなくてはならない時間だったと振返る。

知識や経験があるだけではサービス業はだめなのだ。心が伴わなければお客様に届かない。単純なようでいて難しい。商売人としての原理原則をこの時、体で知った。


未来予想図が
大きく広がり始めた。


店長として再チャレンジ。

岐阜の郊外店だったが過去最高の売上、月800万円を記録。

「繁盛してとてもうれしかったんですが、それ以上にどうやったら常に繁盛店を作ることができるのか。その仕組みや方法を考え、実践していくことに目がいくようになりました。まだマネジメントという言葉の意味もよくわかっていなかったと思いますが(笑)、『人・モノ・金』をマネジメントし大きく動かしていくことの醍醐味を感じていました」

着実に経営力を身に付けていくにしたがって自分の店を持ちたいという浜島社長の夢は、CoCo壱番屋をもっと世の中に増やし、企業を大きくしていきたいという野望へと大きく変化していった。

「今では当たり前のように行われていますが、はじめての朝礼、夕礼を。そしてパート・アルバイトを、ジョブローテーションを…試行錯誤しながら店に導入。繁盛店を確実に作るやり方を体系づけていきました。おもしろいくらいに繁盛店が増え続けていきましたね」

同社は30年間で370名強の優秀なFCオーナーを輩出しているが、「ブルームシステム(壱番屋独自の社員独立支援制度)」の中に、浜島社長が現場で培ってきたノウハウが集約されている。

壱番屋の成長と20代を駆け抜けた浜島社長の成長の軌跡は、同じような成長曲線を描いていった。


日本壱番から、世界壱番へ。


『あんかけスパゲッティ専門店 パスタ・デ・ココ』

『あんかけスパゲッティ専門店 パスタ・デ・ココ』

『カレーらーめん専門店 麺屋ここいち』

『カレーらーめん専門店 麺屋ここいち』

浜島社長のビジネスの原動力は何かを尋ねてみた。

「おもしろいことをやりたい、夢を実現させたいと強く思う気持ち」と笑って答えてくれた。

まだ誰も成しえていないことが好きだという。

「国内CoCo壱番屋のインフラ機能の構築と充実を図っていくのはもちろんですが、CoCo壱番屋のカレーを日本だけでなく世界中の人に愛してもらいたいのです。世界は広いです。まずはここ10年でアジア、北米、オセアニアを中心に展開しようと考えています。そして新業態として誕生させた『あんかけスパゲッティ専門店 パスタ・デ・ココ』と『カレーらーめん専門店 麺屋ここいち』をカレーにも負けない存在に高めていきます。これが壱番屋の“image of future”です。おいしいものを食べながらいがみ合う人はいません。「壱番屋のおいしい」を世界中に広めるということは、世界中の人を笑顔にし、また雇用を創出できます。楽な道じゃないけれど、楽しいが一杯あると思いませんか」

夢を持ちにくい世の中だと言われているが、壱番屋のなかでは話は異なるようだ。夢が持ちにくいのではなく志があるかどうかが問題なんだということや若者が夢を持つことの大切さを浜島社長の「生きる道」が示唆してくれた。


浜島 俊哉氏(49才)
株式会社 壱番屋 代表取締役社長
PROFILE

浜島 俊哉氏(49才)
株式会社 壱番屋 代表取締役社長

喫茶店のアルバイトをきっかけに、高校生の頃から自分で店を持ちたいと考え始める。(株)壱番屋の創業者である宗次夫妻との出会いから、CoCo壱番屋にアルバイト入社。平成4年取締役全国統轄本部長、平成12年代表取締役副社長を経て平成14年より現職。愛知県名古屋市出身。


PROFILE
社名 株式会社 壱番屋
設立 1982年(昭和57年)7月1日
代表者 代表取締役社長 浜島 俊哉
従業員数 社員数 772名 ※2008年5月末現在
資本金 15億327万円 ※2008年5月末現在
事業内容 カレーハウスCoCo壱番屋、パスタ・デ・ココ、麺屋ここいちの店舗運営・業務管理。全店で1191店舗(内ハワイ・中国・台湾・韓国・タイに26店舗、直営店290店舗)を展開する店舗数日本一のカレー専門店チェーン。
東証一部上場
本社 愛知県一宮市
総店舗数 1,191店舗(直営店290店舗)※2009年1月末現在

2009年3月掲載


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